HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教理史11 スコラ学

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1.スコラ学の台頭

  • 教理史と初期スコラ学の台頭

従来、スコラ学の台頭は「信仰と理性」の対立史の観点、あるいは十三世紀のトマス・アクィナスにおいて完成するスコラ学の観点から説明される傾向があったが、今日では人間論と救済論において新展開を見たアウグスティヌス主義の伝統との関連が注目される。とりわけ、信仰者の生活(徳)と救いにとって有効とされる秘跡サクラメント)についての総合的知識が求められ、このような関心がスコラ学発展を促したといわれる。十二世紀の神学者ペテロス・ロンバルドウスの『命題集』全四巻(三位一体、創造と罪、受肉と徳、秘跡と終末)は神学全領域の諸問題を組織的に取り扱う中で、後にカトリック教義となる七つの秘跡論を提示する。

  • 聖餐論

ラドベルドウスとラトラムヌスの論争はその後ラドベルドウスの転移・実在説の勝利となるが、聖餐の要素においてキリストがどのように実在し、それが陪餐者にとってどのように有効となるかは、神学者のみならず教会の一大関心事となる。第四ラテラノ公会議(1215)において化体説が教義として確立するにいたる過程において、スコラ学の初期的研鑽が積み重ねられ、その間にベレンガリウス(象徴説)とランフランクス(転移説)との論争も起こる。

 

  • 悔悛

悔悛の秘跡は「第二の洗礼」とも呼ばれカトリック信仰を支える中核に位置付けられる。悔悛制度の確立において、罪、罪の赦し、告白(懺悔)、罪の充足、司祭による赦しの宣言、充足のための善行の区別と効能、回復などが問題とされ、より緻密かつ組織的な論議が積み重ねられる。聖餐論と悔悛はスコラ学の台頭に貢献した最も重要な教理であった。

 

2.スコラ学の完成

教理史上で十二世紀と十三世紀との相違は極めて大きいとされる。アリストテレス全著作の導入、イスラム教アラビヤ哲学との接触、大学の創立、新修道会(ドミニコ会フランシスコ会)の誕生、トマスにおけるスコラ学の完成とその対極に位置するとされるフランシスコ会神学などの顕著な動きが中世カトリック教会の全盛期という背景の中で展開を見た。

 

アリストテレスギリシャ語全著作は、エペソ公会議(431)により退けられてペルシャに逃れ、後のイスラム教台頭に伴い御用学者として生き残ったネストリウス主義者により保存、研究され、イスラム神学の樹立にも貢献したとされる。イスラム教の進展に伴い、全著作はアラビヤ語に翻訳されることになる。他方、西ヨーロッパではアリストテレス著作のうちラテン語に翻訳されて中世に伝えられたものは『論理学』など一部にすぎず、『自然学』、『形而上学』、『ニコマコス倫理学』、『政治学』などの主要著作は知られていなかった。しかし、十字軍の遠征によるイスラム世界との接触により、アラビヤ語全著作とイスラム教哲学とが紹介され、十三世紀のスコラ学に大きな影響を及ぼす。

 

スコラ学は「スコラ」(学校)を語源とするが、従来司教区教会や修道院の関連学校を中心とした学問研究の伝統は、十三世紀に始まる大学(イタリアのサレルモ、ボローニャ、フランスのパリ、英国のオックスフォードなど)を中心として躍進し、多くのスコラ学者が輩出された。とれわけ、ドミニコ会のアルベルトゥス(マグヌス)とその弟子トマス・アクィナスは神学研究にアリストテレス哲学を活用し、アリストテレス的スコラ学と呼ばれうるものを確立する。アルベルトゥスはパリ大学で教え、ケルンにドミニコ会神学校を創立し、司教として活躍する。主著『神学大全』や『被造物大全』などで、伝統的なアウグスティヌス主義に立ちつつも、アリストテレス、アラビヤ哲学、ユダヤ教学など広い知識を用い、啓示の優位性と理性による研究の自律性を説いた。トマスはその師における神学と哲学の領域分離を完成するが、その学的立場は「恩恵は自然(理性)を損なわず、むしろ完成する」( gratia non tollit, sed perfecit )と表現される。主著『神学大全』や『異教徒反駁論』はその後のカトリック神学の基盤となる。

 

ドミニコ会アリストテレス的スコラ学の対極に位置付けられるのがアッシジのフランチェスコ創設になるフランシスコ会の神学である。フランチェスコを教理史に位置づけるのは容易ではないが、『告白』で神学を心の深奥領域の問題とし、『神国論』で神の歴史支配を説いたアウグスティヌス神学の一面を継承し、「太陽の賛歌」に代表されるように神の被造世界における証をした。『フランチェスコ伝』の著者で会を代表する神学者ボナヴェントゥラは『精神の神への歴程』において、フランチェスコ神学を継承して、魂が神の照明を受け、神の愛に導かれて被造世界から神へと上昇する過程六段階を説いた。また、ダンテの『神曲』にも同様の世界観が見られる。