HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

ギリシャ哲学化した神学の問題(希腊化神学的问题)

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 二次世界大戦で、ドイツナチスによって実施されたホロコーストは数百万人のユダヤ人が殺されたと言われている。それは政治的、国家主義的な要因以外に、神学のギリシャ哲学の影響によるものだとはあまり知られていない。多くの教科書でも、キリスト教の神学からそれを説明しない。

 キリスト教の歴史の中で、理性で聖書を研究するため、ギリシャ哲学を用いて研究を行った。その理由で、神学ではギリシャ哲学的な「影」が残っている。ある教理は今でも多大な影響を与えている。私が在学しているシンガポール神学校の校長先生が書いた『21世紀神学事件簿』という本の中で、「キリスト教が高度なギリシャ化になり、神学でユダヤ色を無くした結果、真理の光を失ってしまった」と書かれている。

 教父たちが神学をする中でギリシャ哲学を用いた結果、ユダヤ教とつながりのある信仰を二分化してしまった。それが、キリスト教に残したユダヤ教への偏見の始まりであり、ユダヤ人への増悪の種を残してしまったのである。ユダヤ人大量の殺戮のとき、当時教会で反対の声をあげたものはあまりにも少なかった。

 西洋神学の出発点が間違っていることで、西洋の宣教師たちにより福音が伝えられた東方の教会にも同じ問題がある。神学のギリシャ化した影響により、信仰において理性を重んじ、知識と実践を分けて神学を考えるようになった。神学はもともと実践そのものであり、二元論化してはいけない。西洋神学の影響をうけた多くの教会では、弟子作りにおいて知識の伝達を重んじるが、成熟した信徒があまり作れなくなったのではないかと思う。

 神学は知識だけではない。知的な活動だけではなく、人格的な活動でなければならない。聖書の知識を学ぶが、人々との交わりから離れては成熟な信仰者になれない。人格的な交わりの中で、他人を愛し、真理を実践していく中でクリスチャンのあるべき品性が形成されていく。そういう意味で、初代教会のように、家の教会はバランスのよい弟子作りができると信じている。

 

 

 

二战时期在德国纳粹手下有成千上万的犹太人被屠杀,在人类历史上也是一件罕见的野蛮暴行。导致这场屠杀的理由除了当时的政治、经济、国家主义等因素以外,还有更深远的影响就是神学希腊化。在历史课本里很少看到从基督教神学的角度评论犹太人大屠杀的问题。

  在教会历史中,教父们试着以理性研究圣经,并发展出基督教神学。在研究圣经的方法上,他们借助了希腊哲学的思考方式,从而使基督教神学中随处可见希腊哲学的“影子”。我所读的新加坡神学院的谢木水院长写的《21世纪神学事件簿》一书中提到“在理性的众光之下的基督教神学变得高度希腊化,进而神学思考去犹太化,导致基督信仰在众光之中失去真光。”

  在做神学的过程中,因教父们引用了希腊哲学的思考方式,把源远流长的犹太信仰为基础的基督教“去犹太化”(去除犹太色彩),发展出现在的以希腊哲学为基础的西方神学。这种“去犹化”的神学思想被教会传承,产生基督徒对犹太人的厌恶,导致二战的犹太人大屠杀,而很多教会则选择了默认。

西方神学的出发点就出现了问题,而我们东方人又是那些西方的宣教士们传的福音。“希腊化神学”的最显著的问题就是把神学理性化、二元化。注重理性,却把伦理放在次要位置,也就是注重知识,而忽略实践。其实,神学本身就是伦理,就是真理的实践。

  这种神学也影响了教会的信徒造就的方式。目前仍然有许多教会把重点放在查经的理性活动,而忽略在伦理关系中的真理的实践。这个问题的根源久远,自然很难改变和转换。

  神学并不只是理性思维和理性活动,而是从上帝与人及人与人的交流、对话、团契之中诞生的。在与一群人的团契中形成人格思维,而不只是理性思维,以得到某些神学知识为满足。成熟的基督徒的生命一定是回到人群中,在实际爱人的生活中培养起来的。从这意义来说,家里教会是合乎圣经,牧场生活也能培养出知识与生命均衡的基督徒。