HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教理史1

教理史の主体は教会であり、個人の信仰者がどう信じているのかは別問題である。

教理史と教義学との違い:

教会が権威をもって定めたことを歴史によって辿っていけば教義といえる。つまり正しい教理である。

教理史は異端のことも考える、正当的な教義も対照しながら学ぶ。

組織神学は教理史を問題にしないので、聖書だけに焦点を置けばよいのである。

 

福音の準備:

1世紀前後の写本では、メシヤ待望の信仰が強かった。それはイエスの誕生に対する反応からみられる。メシヤが来られることが期待したのかどうかによって、当時のユダヤ人たちの心が分かる。マリヤの賛歌、シメオンなどはそういう背景にある。その背後には、罪と贖罪の教理が出てくる。ヘレニズム時代は古い神々が崩れた時代でもある。共通したのは、贖罪宗教―(平和の宗教、金銭の宗教などの中で)人が罪から贖われる宗教が当時で流行った。ローマの軍人の中での宗教(牛をささげる)、ユダヤ人の中、植物神(死んで、蘇る)が地中海で盛んだった。福音を伝えるときに、受け入れる土壌があったのである。

 

 2世紀で一番大きな問題はキリストは神として礼拝すべきかどうかである。それがニケア信条で確立するようになる。2-3世紀において異端が出現し、多様な教会が出てきて、主流と亜流を見たほうがよいのである。

結論的にいえば、異端の問題は旧約聖書新約聖書の一貫性の問題であり、主流派としては一貫性があると認識し、亜流派は断絶になったと認識したほうがよい。