HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

パンデミックと環境(疫情与环境)


  这几年环境专家不断发出警告,如果世界的二氧化碳的总量不减少,地球平均温度上升1°就增加自然灾害带给人类的破坏力。去年,环境问题还是世界的主要焦点,专家们敲起警钟,不过积极响应的国家却不多。进入2020年,看似不可能的环境问题却以出人意外的方式成就了。即使是短暂的,对人类的影响也是深远的。

  一个肉眼看不到的病毒,止住了人们的脚步和社会活动。疫情迫使世界各地“封城”,城市的车水马龙不见了,工厂的烟囱也不再排放浓烟了,空气指数自然而然也就变好了。从卫星照片可以看出,中国的,美国的,欧洲的上空明显变得清澈,寻回了它的蔚蓝。

  疫情好像给地球一个喘息的机会。有人说,这是环境对人类的报复。人类社会自从英国工业革命开始,无止境地积累资本、扩大生产规模、最大限度地追求利润,所换来的代价就是环境的破坏。国际社会开始醒悟,签署各种保护环境协议,各国也纷纷颁布环境保护法案,不能说丝毫无效,不过只要经济竞争存在,很难把环境问题摆在重要位置考虑。

  人类社会面对的环境问题,可能不只是涉及环境而已,其背后真正的原因我觉得是对一个国家的评价体系。比如,评估一个国家强弱通常用GDP来衡量。这个指标只能让国家把经济发展放在最重要的战略地位,为了推动经济不得不把环境看为次要因素。

“受造之物切望等候 神的众子显出来。 因为受造之物服在虚空之下,不是自己愿意,乃是因那叫他如此的。 但受造之物仍然指望脱离败坏的辖制,得享神儿女自由的荣耀。”(罗马书 8:19-21 )环境得赎,首先人要得赎。如果人活在罪中,受造之物仍然在“败坏的辖制”中。环境的问题,是人贪心的问题。我们每个人都负有责任。基督徒在这强调物质丰富和物质享受的世界中,活出知足和简谱的生活就是参与环境的保护。

 

 


 数年前から環境の専門家たちは絶えずに警告を出し続けてきた。もし、CO2を削減しなければ、地球の温度が1℃上昇することによって人類に与える災害の規模が大きくなるという。昨年、環境問題が世界のトピックな話題だと感じた。でも、積極的環境問題に取り組む国はそれほどなかったと思う。2020年に入り、誰でも思ったことのない形で、環境が著しく改善された。短い期間になるかもしれないが、それでも実現しているのである。

肉眼で見えない小さいウィルスが、人々の足を止め、社会経済を止めたのだ。パンデミックが多くの都市を「封鎖」せざるを得なくなり、市街地の車の流れがなくなり、工場の煙突から煙が消えた。それに伴い、空気の指数が著しく改善されたのだ。衛星写真からでも確認できるように、中国を始め、ヨーロッパ、北アメリカなどのきれいになった上空の写真が人々に感動を与えている。

パンデミックは地球に一息休息の時を与えたように思う。ある人は、これは環境が人類に対する報復だという。人類は産業革命から、絶えずに資本を蓄え、生産を拡大し、利益を追求してきた。その代価として環境が破壊された。近代になって、やがて気づき始め、国際社会が環境保護に取り組み始めた。各種の協議、各国の環境保護法案などの成立。まったく効果がないわけではないが、経済競争が存在している限り、環境問題は解決できないと思っている。

これはただの環境の問題にとどまらないかもしれない。その背後には、一国を評価する基準の問題もある。例えば、国を評価するとき、よくGDP指数を使う。これを使うと、国は経済を最優先順位に置くのは当たり前のこと。経済を優先にすれば、環境問題は次の問題となるのは明白のことだ。

 "被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。"ローマ人への手紙 8 1921)被造物が贖われるためには、人がまず贖われなければならない。環境問題は人間の貪欲の問題である。私たち一人一人にも責任がある。クリスチャンとして物欲が溢れる世の中で、主にある満足と簡素な生き方が環境保護に貢献していると思う。