HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教会堂と教会 (教堂与教会)

 

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アヤソフィア聖堂

 トルコのイスタンブールには「アギア・ソフィア大聖堂」という建築物がある。この大聖堂は紀元360年に東ローマ帝国が建てた、ビザンティン時代の代表的な建築でもある。「ソフィア」の意味は神の智慧であり、キリストを指している。この聖堂はキリストのために建てたものとも理解できよう。しかし、紀元1453年にオスマン帝国により占領され、イスラム教のモスクとなった。オスマン帝国が滅び、1934年から博物館として一般公開されてきたが、最近トルコ政府はモスク専用施設として使用すると発表した。

 今のイスタンブールはかつて、キリスト教がもっとも盛んな地域だった。特に、東方教会の発祥の地でもある。歴史の中で、西方からの攻撃に加え、福音の力が弱まったこともあり、衰退しはじめ、やがてイスラム教徒により陥落してしまい、1000年間最大級を誇る大聖堂もモスクになってしまった。神がこの聖堂を見捨てたのである。

 旧約聖書でソロモン王が建てた神殿も、当時ではもっとも立派で、気迫のある神殿だった。しかし、民たちの罪により、神殿は滅ぼされる。その後再建された神殿も、紀元90年にはローマ帝国によって滅ぼされた。神は建物をあまり重んじないような気がする。神が求めるのは、自分を愛し、みことばに従って歩むことである。

 歴史の中で、教会堂を通して、神の栄光を表してきた。その偉大な建築も福音の力の衰退により共に衰退している。初代教会では、教会堂もなく、家で礼拝をささげたにも関わらず、福音は力強く、ヨーロッパに広がった。信仰の自由もない時代、福音は勢いよく広がったのは、生きた福音があったからだと思う。

 教会堂はなくなるが、教会はなくならない。私たちは教会であり、そのいのちは福音に信頼することから生まれる。もし、私たちはこの社会で、福音を知り、福音を喜びとするなら、どんな勢力も福音の勢いを阻むことはできないだけではなく、かえってこの社会を福音によって変えていける。私たちにとって、もっとも関心を寄せるところは建築ではなく、福音が一人一人のこころにしっかり建てられることである。

 

 

 

土耳其的伊斯坦布尔有个“阿亚索菲亚清真寺”,旧称是“圣索菲亚教堂”。如果了解历史的人都知道,这座建筑物是公元360年在东罗马帝国的首都康斯坦丁堡建成的。这个建筑物称为拜占庭建筑的代表。“索菲亚”的意思是神的智慧,指的是基督。这座教堂可以说是为基督而建造的。但是,康斯坦丁堡在公元1453年被奥斯曼帝国所占领,教堂被改为“清真寺”。奥斯曼帝国灭亡后的1934年,这个清真寺成为博物馆向公众开放,不主张一个明确的宗教。最近这个清真寺被土耳其政府正式被宣布使用于伊斯兰教的清真寺。

  康斯坦丁堡曾经是基督教兴盛的地区,可以说是东正教的发祥地。这个城市在发展过程中不仅受到来自西方的攻击,也因福音失去活力而没落。在1000多年中,号称世界最大的教堂也成为了“清真寺”。可以说是神把这个为基督建造的宏伟教堂“丢弃”了。

  旧约圣经中,由所罗门建造的圣殿之宏伟,当时无其他建筑物能与它媲美。随着以色列百姓的罪恶,神最终也借着外邦人的手毁掉了圣殿。在新约中,重建的圣殿也被罗马帝国所毁灭。人对建筑物热心,神却不然。祂在乎的是百姓们是否爱祂、顺从祂的律法,荣耀神。

  在历史中教会借着建筑物来见证神,表示对神的热心。不管教堂多宏伟,神看重的是人心。福音兴旺的初代教会没教堂,家庭是敬拜和交通的地方。福音却在没有信仰自由的年代以无法抵挡的趋势迅速发展。没有教堂,但有教会,而且满有生命力。

  教堂会毁灭,教会却永存。我们是教会,教会的生命来自于对福音的信靠。教堂对我们来说不是生命的关键。如果在这个社会中每个基督徒都明白福音,信靠福音而喜悦,就没有任何一个势力可以拦阻他的发展,反而影响社会,使社会福音化。教堂固然需要,但是更重要的是福音要在我们的教会和个人心里被建造。