HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

こころのオープンと霊的成長(敞开与成长)

 クリスチャンの霊性は自分の霊的な問題と誠実に向き合う必要がある。霊的成長は自分の心をどの程度オープンできるのと関わると思う。牧場の分かち合いの中で、どれだけ自分の心をオープンにして話せるかは、神の前で自分の本当の霊的な問題と向き合う姿勢でもある。聖書をいくら勉強しても、自分の問題と向き合いたくないなら、知識は増えるかもしれないが、霊的な成熟は難しくなり、霊的な「子供」に留まってしまう。

 ヘンリーナウエンというカトリックの神父がいる。彼は霊的な成長においてとても著作が多い学者でもある。ナウエンの本では自分をオープンし、真実なところを書き記すのが特徴である。彼は自分を赤裸々に自分と神と読者に向き合っているところが却って読者のこころを引いている。彼のほとんどの本の中で、自分が経験したことを通して、こころの葛藤や矛盾などを紹介している。

 ナウエンも自分の霊的な成長過程において、自分のこころをオープンして分かち合う必要性を強調している。私たちは牧場の集いで自分をオープンにして分かち合うのに躊躇しているかもしれない。しかし、牧員の間で信頼関係を築いているなら、自分の弱さや霊的な問題を率直に分かち合ってもよいと思う。神に対して自分をオープンすることによって、霊性も成長していく。

 

  基督徒生命的成长需要诚实地面对自己的属灵问题。在几周前的牧师专栏中也提到过这个观点。属灵生命成长与自己内心的敞开程度有关。在牧场中的分享并不是向着人敞开,而是向神敞开,愿意在神面前承认自己的属灵问题,并靠主胜过。如果我们学习再多的圣经而不愿意改变自己,属灵生命仍然是“婴孩”。只有勇于面对自身问题,才愿意在较有信赖关系的团契中敞开自己。

  灵修大师卢云是一个敞开自己的人。在他的著作中他敞开自己的内心,把自己心里真实的一面表露出来。他都是以坦荡荡的自己来面对自己、神及读者。也许就是这种赤露敞开的表达,使万千的读者産生共鸣,因为他们感觉到在阅读卢云的生命和感受时,也是正在閲读自己的生命和感受。卢云差不多在每本著作中,都以自己的经历,来引证生命的挣扎甚至矛盾。

  从卢云自身生命的成长过程,让我们看到敞开自己生命的必要性。我们可能在牧场聚会中羞羞涩于敞开自己。如果牧场的成员之间已经有信赖关系,我认为可以把自己的软弱和属灵问题坦露。坦露是因为愿意面对并靠着主的恩典胜过,突破自我而达到进一步的成长。