HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

一人でいることと交わりの中にいること (独处与交通)

共に生きる生活[ハンディ版] | ディートリヒ ボンヘッファー ...

 ボンヘッファーは『交わり』という本を書いた。著者はまずクリスチャンの交わりについてこう語る「交わりは人の理想や経験からできたのではなく、キリストの故である。兄弟と呼び合うということは私たちの交わりはキリストから与えられたのであり、キリストを信じることが交わりの基礎である。だから、もし交わりの焦点をキリストから自己中心に移すなら、交わりは虚しくなる」。

 著者は、一人でいることができないなら、良い交わりができないと言っている。ここで、交わりの生活を牧場の生活に置き換えることができよう。一人でいることができないなら、牧場の交わりにも恵まれない。一人でいることは孤独ではない。一人でいる目的は神との親しい交わりを持つためである。御言葉と祈りと黙想を通して、神のご臨在を喜び楽しむことである。このような人は全く孤独ではない。一人でいるように見えるが、大勢の人に囲まれているより満足している。このような信徒が牧場の交わりに参加すれば、必ずしも牧場に霊的に素晴らしい影響を与え、牧員たちの徳を高めることができる。しかし、神と個人の交わりがなければ、牧場に参加することは社交の欲を満たすためになりかねない。このような目的で参加する交わりはさらにことばと感情との空虚さに陥ってしまう。

 また著者は、もし交わりの生活がなければ、一人にいることができないという。交わりに参加しない「一人英雄」はさらに孤高になり、虚栄とうぬぼれと絶望の淵に滅びる。クリスチャンは交わりの中で愛の実践が可能であり、信仰の訓練となる。その中で、さらに神と交わる必要性を感じ、喜んでそれを行う。その中で得られた恵みと愛を再び牧場の交わりに持ち込むことで、交わりが活性化になり、素晴らしい霊的な雰囲気となる。

 私たちの信仰生活は一人でいること、交わりでいることを離れてはいけない。自転車の両輪のように、共に回すことにより力強く前進させる。

「ひとりでいることのできない者は、交わりに注意せよ。交わりのなかにいない者はひとりでいることに注意せよ。」(ボンヘッファー

 

潘霍华的著作中,有一本叫做“团契生活”。他说:“团契的建立不是建基于人的理想,不是信徒生活的经验使众人聚在一起,乃是建基于基督:‘我们之成为弟兄,具决定性的,乃是由于我们从基督来的。’团契的基础是信仰,是因为我们归信于耶稣基督。于是,当团契把焦点从基督身上转往自我中心,团契相连的基础便被破坏”。

  作者在书中提到,基督徒如果没有“独处”就不可能有美好的团契生活。换成我们教会,团契生活可理解为牧场生活。没有独处的信徒,无法享受牧场聚会,也不能通过牧场聚会带给自己和他人的造就。所谓的“独处”就是与神的独处。独处并不是孤独。独处是个人享受与神的同在和亲密的交通。借着神的话语和祷告亲近神,其过程中享受与神无法言喻的亲密。有了这样的独处,会更渴慕参加团契生活,欢喜与神的百姓交通。而且,通过他的分享和生命的流露造就了牧场成员。如果没有独处,不喜欢独处,参加牧场很可能是因为孤独,目的是寻找社交场所而已,他不会在牧场聚会中得到心灵的满足,反而陷入感情的空虚中。

  如果没有团契生活,也不知道如何“独处”。“孤行侠”只能越来越孤高、虚荣、自傲、绝望。在团契生活中才能产生爱人的行为,帮扶那些软弱的人。基督徒的生命也在团契中得到操练,成长、成熟。越委身于团契生活,就越来越觉得需要与神“独处”。“独处”使他的生命得到滋润,从新得力,把从神得的恩典和爱再次分享给团契。这是一个良好的循环。

  我们的信仰生活不能离开与神独处,也不能离开牧场生活。好像自行车的前后轮一样,帮助我们在信仰之路上一往无前。

“让不能过独处生活的人,远离团契吧!让不在团契中生活的人,远离独处吧! ”(潘霍华)