HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

牧場は神学をする場所(牧场是做神学的地方)

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 「神学をする」という言葉を見るだけで、遠のく人がいるかもしれない。「神学」は神学者と牧師が研究する分野だと認識している人が多いのではないか。しかし、クリスチャンならだれでも「神学をする」。神学をするという意味は、毎日の生活の中で、あらゆる分野で信仰によって応答することである。この意味からみると、クリスチャンは毎日神学をしていると言っても過言ではない。 

 牧場は神学をする良い場所である。牧場は一緒に集い、一緒に信仰生活をするところでもある。牧場で聖書の分かち合いをするだけではなく、一週間の生活の分かち合いもする。生活の分かち合いは私たちの神学をする訓練であり、信仰と御言葉によって生きる訓練である。神学をするには4つの段階がある。まず、ある問題に直面する経験である。この経験から、問題解決するための「探索」が始まり、どのように反応すべきかを考える。そして、「反省」する段階に入り、どんな方法で解決すればいいのかを考える。最後の段階は「応答」である。ほとんどの問題に直面するときに、この4つの段階を経て瞬時的に反応するの。しかし、すべてが正しく応答したとはいえないだろう。

 ある時に、失敗と挫折という最悪の時に牧場に参加するかもしれない。ある問題に対して、どのようにすべきか知っているが、実際にはそれと違い、世俗的なやり方、肉の行いなどで反応したかもしれない。このような失敗を牧場で分かちあうべきである。よいことだけ分かち合うことではない。自分の失敗、挫折を分かち合うときに、牧員による意見、励まし、執り成しの祈りを受ける。そして、新しい一週間で、再び正しい方法をもって問題に応答してみる。このように、私たちは牧場の生活を通して、普段の生活の中で、正しく神学をすることを身に着けるのであり、互いに成長するのである。

 

  听到“做神学”觉得这个学问深不可莫,高深难懂。乍听,“神学”是神学家和传道人所研究的领域,与平信徒毫无瓜葛。其实,每个基督徒都在做自己的“神学”。做神学的意思是,用信仰来回应生活的方方面面,行事为人要合乎圣经的教导。

  牧场是帮助我们做神学的好地方。我们聚集在牧场,除了复习周日的证道信息以外,我们主要还是分享一周的生活。生活的分享帮助我们每天“做神学”,即生活信仰化。做神学可以分为4个阶段。首先是我们遇到的问题,可称为“经验”。针对这个问题,我们“探索”如何处理。这个时候就会面临选择,是照着圣经或神喜悦的方法去处理还是以世俗的方式、属肉体的方式去回应。在经过“探索”阶段,决定如何处理后就要面对“反思”的阶段,问自己“我这样做恰当吗?”。最后是“回应”的阶段。我们的每个事件差不多都是经过这4个阶段。因为在我们心里处理的很快,平时就注意不到。我们每次的回应不能说都很理想。

  在牧场分享的时候,可能那周我们会带着一种“失败感”参加。因为在处理某件事情的时候,我们知道如何去做,却因着自己的冲动或软弱没能做到。我们在牧场中不应该“报喜不报忧”,或分享千篇一律的内容。可以把这种“失败”分享出来,寻求牧场成员的意见和帮助以及代祷。在新的一周的生活里,可以再次反思自己的问题,重新选择处理的方式,重新回应。这就是基督徒在生活中活出新生命的方式,也是改变的过程。

  牧场给我们提供很好的操练环境,帮助我们在日常生活中正确地“做神学”,促进彼此的成长。