HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教会の制度(教会的制度)

 

 社会の中で様々な制度が存在している。国家の憲法から、小さな組織の規律などの制度が存在する。昔あるクリスチャンが私に「教会も制度が必要なのか?制度は人を縛るのではないか。律法主義にならないのか?」と聞いたことがある。

 教職者の中で、制度に対して消極的な方は少なくないような気がする。教会に一旦制度があれば、律法主義に陥るので、恵みだけで十分だと主張する。恵みは律法を無くしたのではない。恵みによって、律法が求めるレベルを遥かに超えたのである。恵みがなければ、律法を守ることができないだけではなく、守りたくもないのである。

 教会は制度が必要である。目的は人を縛り、律法主義に陥るためではなく、教会の使命を果たすためである。もし、交通ルールがなければ、車の交通整理ができないし、交通事故も頻繁に起きるだろう。車を走るために造った道も何も役に立てなくなる。教会の制度は教会の使命を果たすためであり、一致の中で信徒の賜物を最大限に生かし、教会を建てるためである。

 聖書の中でも様々な制度が存在している。例えば、会員制度、選挙制度、組織に関しての制度などがある。これらは使徒が教会に書いた手紙から具体的に教えた内容であり、それに基づいて今の教会制度がある。 

 社会の制度と違って、冷たい制度になってはいけないことである。機会的に制度を実施するのではなく、制度の中で、恵みと愛がなければならない。もし、ある信徒の弱さによって制度を違反した場合、状況によってすぐペナルティを課すのではなく、愛と忍耐をもって問題を解決すべきである。

 今日は三人の執事が立てられた。教会制度中、執事は愛の業に励むべきである。初代教会のように弱い人々を助けるのが執事の使命である。執事はクリスチャンとしての責任と義務を果たすだけではなく、聖書で教える執事の教えにも「縛られ」、「不自由」になる。個人を代表するのではなく、言動と奉仕において信徒の模範とならなければならないからだ。しかし、「自由」でもある。神の愛に応えて、犠牲をもって教会に仕えることはクリスチャンの「自由」であるからだ。どうか、皆さんは新米の執事たちのために祈り、支えてくれるようにお願いしたい。

 

 

 

社会中充满着各种制度。大到国家的宪法,小到一个小组织的纪律。因着这些制度的存在使社会井然有序。以前有个基督徒问我,教会也需要制度吗?制度不是捆绑人吗?不是律法主义吗?

在华人教会里不少牧者对制度很消极。认为教会一旦有了制度以后就陷入律法主义了,不需要制度靠着恩典就可以了。恩典不是废掉律法,而是让人超越律法,使人积极地遵守律法。没有恩典的时候,律法是咒诅人的,因为人不能守,也确实不想守。

教会需要规章制度,其目的不是辖制人、捆绑人、让人陷入律法主义,而是帮助教会完成使命。如果没有交通规则,就出现交通堵塞和交通事故,本来可畅通的马路也就派不上用场了。教会的制度是服务于教会使命,帮助信徒们在合一中最大限度地发挥恩赐建立教会。

圣经中其实也充满着各样制度。比如成员制度,选举制度,服事制度,治理制度等等。只是没有明文规定,而是在教会遇到实际问题的时候,借由使徒们通过信件指导其处理方式。

教会的制度又跟社会的制度不同,不能成为冰冷的、机械式的制度。而是在实行时需要恩典和爱。有时候可能因为信徒的一时软弱违反了制度,这时需要以爱和忍耐的原则处理问题。

今天我们立3位执事,也是我们教会第一批被选出来的执事。在教会制度中执事的使命主要是爱的服事。他们三位执事不仅要履行一名基督徒的责任和义务,而且受到圣经对执事的约束。成为执事后就“不自由”了,因为不再代表个人,而是教会的执事,在言行和教会的事工上要作信徒的榜样。但是,他们又是自由的,因为他们甘心牺牲自己服事教会。就是爱人的自由。希望大家多多为他们代祷,支持和鼓励他们的服事。