HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教理史10 中世神学の発展

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スコラ学

中世前半期に台頭したアウグスティヌス主義と中世後半期に起こるスコラ主義との過渡期(11-12世紀)を本項は問題とする。この時期は修道院制度の充実、修道院を中心とする信仰覚醒、十字軍の遠征などに象徴される宗教復興期であり、教会法の整備などに裏打ちされた教会権の高揚と相まって、神学にも諸学問を統合する動きが高まり、「万学の女王」を自負するスコラ学に先鞭を付ける。この時代の代表的神学者にはアンセルムス、ペトルス・アベラルドウス、ベルナルドウス(クレルヴォーの)があるが、いずれも修道僧であり、神への献身の証として神学をする、スコラ学者に通じる先例となる。

 

(1)  アンセルムス

   カンタベリー大主教として知られ、まず信じることから出発して、その信仰の根拠を聖書(啓示)からではなく、理性的探求からも説明する方法論を確立し、「スコラ学の父」と呼ばれる。「信と知」(信仰と理性)の問題では、「知らんがために我信ず、信ぜんがために我知る」( Credo ut intelligam, intelligo ut credam )というアウグスティヌス的命題のうち最初の命題から「知解を求める信仰」の立場を確立し、修道院時代の著作『モノロギオン』と『プロスロギオン』では三位一体や神存在の証明を試みた。

 

(2)  アベラルドウス

   同じく「知と信」問題と取り組み、これを基本的に「(教会の)権威と理性」問題と捉えた。主著『然りと否』( Sic et non )は神学上の諸問題に関する聖書や教父の証言における外見上矛盾する立場を対比、検討し、それらが教会の権威の下で最終的には調和されうるとする教育的方法論を確立し、後のスコラ学方法論の先例となる。また、救済論ではアンセルムスの客観的(代償的)贖罪論に対し、神の愛を基点とする主観的贖罪論を説いた。

 

(3)  ベルナルドウス

   終生クレルヴォー修道院長、教会改革者、説教家として知られる。『省察録』や『雅歌説教集』などにより、神学と神秘主義との兼備を求め、スコラ学の一面でもある敬虔さの強調を貫く。