HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教理史9 アウグスティヌス伝統主義

教会史では「暗黒時代」としばしば呼ばれる西方中世前半(500-1000)において、アウグスティヌスの権威は絶大であり、この時代の教理史の伝統を「アウグスティヌス主義」( Augustinianism )あるいは「アウグスティヌス伝統主義」( Augustinian traditionalism )と呼ぶことができる。

教会が「我々のアウグスティヌス」( Augustinus noster )として引用したものは、ドナトウス派に対して教会論で、また、ペラギウスに対して人間論、救済論で論争したアウグスティヌスの原資料であるよりは、「アウグスティヌス主義」の形成者のフィルターを通したアウグスティヌスであった。

 

形成者

最大の形成者はグレゴリウス一世であり、短期の教皇在位(590-604)の間に中世一千年のカトリシズムの基礎を据えたことから「大教皇」と称され、四大教会教師の一人とされる。アウグスティヌスの神学を当時の教会の状況と必要に対応させ中庸アウグスティヌス主義を形成し、「自然と恩恵」に関しては半ペラギウス主義を採る。煉獄の教理を導入してミサ制度への道を開き、予定論では神の選びを予知に基礎付けて恩恵の不可抗性を否定し、恩恵に協力しうる人間能力(神人協力)を説いた。その他の形成者には、『命題集』や『語源論』の著者イシドルス(セビーリャの)や『英国教会史』の著者ベダ(ヴェネラビルス)がある。

 

「悔悛」(penance)の制度を確立した。教理史において、最大の貢献はアウグスティヌスの教理を教会に役立つようなものとして変えた。中庸アウグスティヌス主義を形成する。すこし、ペラギウス主義を加えた。

マタイ12:32、Ⅱコリンと3:11-15  から天国に行くまえに、煉獄に行くと。

「原罪」について:アダムによってすべての堕落したことにせず、霊的に見えなくなってきたと主張。ペラギウスのように原罪がないとは言わない。病気のようになった人間のように、霊的に盲目になる。

「恩恵」について:恵みは人間の業に先行すると主張。しかし、一度それを疑った場合、協力して人間はよい働きをすることができるし、しないことができる。アウグスティヌスの観点と一致しない。

 

主要神学論争

(a) 予定論

   アウグスティヌスの「自然と恩恵」理解の根底にある「予定」の教理(とりわけ「滅びへの予定」問題)にアウグスティヌス主義が修正を加える中で、ザクセンの修道僧ゴットシャルクがグレゴリウスやイシドルスの『命題集』ではなく、直接アウグスティヌスの反ペラギウス論原資料に触れ、「予定」と「予知」とは同一とする二重予定論を唱えたことが挑戦となる。(中世末期のウィクリフやフス、さらにルターやカルヴァンの挑戦の前例となる。)

 

(b) 聖餐論

   古代教会以来、キリスト論との関連で聖餐の要素(パンとぶどう酒)をめぐる二つの基本的見解があった。一つは、聖餐において要素が「そこで、なにかに変わる」とする転移・変化的( metabolic )解釈であり、もう一つは、「そこにないものを指し示す」とする象徴的( symbolic )解釈である。九世紀にフランスの一修道院において『主の体と血について』を著して転移説をとなえたラドベルドウスに対して、同名の著書をもってラトラムヌスが象徴説を唱え、両者共にアウグスティヌスの権威に訴えた論争となる。論争は転移説の勝利に終わり、十三世紀に第四ラテラノ公会議が定めた化体説( transubstantiatio )に道を開くが、教理史上の問題点としての意義は大きい。