HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

信仰の自由(信仰的自由)

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 毎年2月11日は日本の「建国記念日」である。しかし、キリスト教界ではこの日を「信仰の自由の日」として過ごしている。過去の戦争の教訓から、信仰の自由を失った過去があるからこそ、信仰の自由を大切にしようとこの日を定めたと思う。過去の戦争で、国はすべての宗教を統括し、国家に仕えるように要求し、国の付属の「機械」にした。

 毎年の2.11で、日本各地の教会で記念講演が開かれ、信仰の自由について活発に学んでいる。人の信仰の自由は国家が干渉したり、制限したりしてはいけない。まだ国家が存在する前に信仰は存在し、神の形によって造られた人の最も基本的な権利である。だから、信仰の自由は国家のすべての法律を超え、守るべき権利である。ある国家の憲法では「信仰の自由を保障する」という文言が書かれているが、実際は制限されたり、監視されたりしている。このような国家体制、法律は神が人類に与えた自然法則に反している。信仰の自由は自然に手に入れるのではなく、大きな犠牲を払って実現してきた。歴史からみると、国家と信仰の自由の間にいつも緊張関係が存在する。国家はあらゆる環境と機会をもって国民の信仰の自由を制限しようと試みる。私たちは日本で、内面的、外部的に信仰の自由が保たれているが、中国を含めての多くの国ではまだ外部的な完全な信仰の自由はない。信仰の自由の日に、私たちは信仰の自由がまだ保たれている国で生活していることを感謝しつつ、まだこの自由のない国々が自由に神を礼拝できる外部の自由を得るように神に祈るべきである。

 

 

  每年的2月11日是日本的“建国纪念日”,也就是国庆日。但是在基督教界把这日称为“信仰自由日”(信教の自由の日)。众所周知,日本曾在二战时期,统管国内所有的宗教,让宗教成为达到国家野心的“机器”。战后,日本基督教界反省在二战时犯下的过犯,把2.11当做反省过去,坚持信仰自由的纪念日。在这一天,很多教会和福音机构举办各种讲座探讨关于信仰自由的主题。

  信仰自由不是国家的政权能干涉和限制的。因为国家未形成之前信仰就已存在,是人照着神的形象所创造的结果。信仰自由高于一切国家的法律,并且需要法律保护这个权利。有些国家的宪法中虽提到“信仰的自由”,实质上却非常受限制,受到国家的监管。这样的国家体制就违背了神的自然法则,国家政权干涉了神赐给人的原始的自由。

  从历史来看,信仰的自由不是理所当然地拥有的,而是通过付出很大代价才能争取到的。国家政权和信仰自由之间始终存在着紧张关系。国家政权往往通过各种环境和机会限制人们的信仰自由。我们在日本拥有内在和外在的信仰自由,但是包括中国的很多国家却没有这种外在的信仰自由。我们应当感恩生活在信仰自由的国家的同时,也为没有这自由的国家和肢体祷告,让敬拜神的外在自由早日实现。