HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

レントと3.11(大斋期与3.11)

asahi.com(朝日新聞社):がれきの中、流木の十字架 気仙沼の牧師ら、教会跡地に - 東日本大震災

 イースターの前夜から遡り40日間をレントもしくは四旬節と呼ばれる。教会伝統ではキリストの死を黙想し、罪の悔い改めを行う期間としてきた。現在この期間中多くの教会は特別な行事はあまりないが(受難日には礼拝が行われる)、キリストの十字架を黙想する期間を設けることが普遍的だと思われる。

 今年は東日本大震災10周年である。10年前の3月11日14時46分に起きた大地震津波、その後起きた福島原発事故はいまでも忘れることがない。その頃、日本全国が暗く、悲しみの中に包まれていると感じた。特に、原発事故で当時の教会の半数は帰国してしまった。原発事故で、これからどうなるのか、私自身も不安で一杯になり、残された信徒を避難させるべきか、教会を閉鎖すべきかなど彷徨った。

 なぜ神がそんなに大きな災害を起きることを許し、二万人近くのいのちがなくなったのか、いまだにわからない。神は決して一人の魂が滅びることを喜んでいない、またこれらの人々への裁きではない。答えを簡単に見つからない中、キリストが受けた苦しみを通して多少でも理解したい。私たちの主は人の苦しみを笑う方ではない。十字架の上で苦しみを受け、死を味わった方である故、人の悲しみをよく知っている。主は今も人々に自分のところにきて信仰によりいのちを保つことを願っている。どんな災害でも奪われることのできないいのちを。主がこの災害を起きたことを許したのは、生きている人々が救いにつながるきっかけになることを望まれているかもしれない。これ以外も神の御心があるかもしれないが、私は神の善を信じ、なさることは美しいと信じ続けたい。

  

 

  复活节前一天开始倒数40天为大斋期,也称为四旬节。在教会传统里,这段期间为默想主耶稣的受难,是认罪和忏悔的期间。虽然现在教会很少举行特别的活动(除了受难周),我们的心应该更多默想耶稣的受死和十字架的意义。

  今年是东日本大震灾10周年。10年前的3月11日14点46分发生了大地震,随之而来的是海啸和核电站事故。现在回想起来还是历历在目。在那段日子,整个日本笼罩在失落和悲伤中。因核电站的泄漏事件,当时牧养的教会一半的信徒选择回国。核电站随时都有可能大爆炸,一旦发生更大规模的泄漏,东京圈是无法生存的。是否让留下来的弟兄姊妹避难到东京以南?教会是否关闭?当时我的心里也非常混乱,不知所措。

  我们现在不仍知道神为何允许发生这么大的灾难夺取将近2万人的性命。这个答案不会那么轻易能找到的。我们的神绝对不会甘心一个灵魂沉沦,也不会是神对人类的惩罚。在不确定的因素下,我们可以试着从耶稣受苦的意义中理解。我们的主不会幸灾乐祸,我相信主非常体贴人们的痛苦,因为祂自己也是尝了死亡的滋味。主耶稣盼望着人们到祂那里保存生命,即使天灾人祸不能夺去的永恒生命。或许,通过这场灾难让我们活着的人醒悟过来,以致得救。或许还有其他神的很多旨意。不过我愿意继续相信神的良善,祂所做的事情尽都美好。