HUKUROU書斎 Piaoriyongの日常

池袋で牧師をやっています。クリスチャンとして、牧師として日常を綴る

教理史4 三位一体論


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問題の核心は、神的なキリストが超越的な最高神と同一であるか、それとも神的存在ながら同一ではない「半神」( Demiourgos )とみなすべきかである。グノーシス主義が旧約の創造神を「半神」とみなし、それをキリストが説いた霊的な最高神と対比し、さらにキリストをその最高神から流出した、宇宙運行のさまざまな機能を果たす力あるいは霊体であるアイオーンの一つとみなしたことに対し、公同キリスト教が旧約の神を最高神、キリストを同一神かつ完全な人間とみなすことにより、三位一体論の必然性が生じる。

さらに、三位一体論の成立過程において、キリストを最高神と同一とみなすとしても、唯一神教であるための神の単一性を意味する「モナルキア」(単一根源、単一支配)をどのように保つかが問題となる。

 

この視点から、キリストの「人性」を強調して神のモナルキアを守る、デュナミス的モナルキア主義(養子論、サベリウス主義)とキリストの「神性」を強調して、神自身がキリストとして顕現したとするモドウス(様態論的)モナルキア主義や天父受難説の双方は退けられる。

 

アリウス主義:

アレクサンドリア神学者アリウス(アレイオス)は「モナルキア」問題と取り組み、上記のデュナミス的およびモドウス的モナルキア主義双方に対してみ父とみ子との区別(個別性)を強調するが、み父を最高神として「発生せず」(永遠性)とし、み子は「生まれ、発生する」(時限性)として区別する。その結果、神の「本質」( ousios )に関しては、み子はみ父と「同質」( honoousios )ではなく「類質」( homoiousios )となり、み子の「有始性」(み子の存在しなかった時があった)と「被造性」(み子は無より存在するようになった)の立場から、キリスト従属説となり、異端として退けられることになる。

 

アリウスが異端だとされたポイントは:

① 御子であるキリスト(第二の意味のロゴス)が存在しなかったときがあった。(有始性)

② 御子は無より誕生、存在するようになった。最高神と御子との関係は被造物の関係。(被造性)

 この二つはアリウスの根本的な誤りである。キリストを偶像礼拝するかはこの最も基本的な問題である。

 

アタナシオスとニカイア正統主義:

アレクサンドリア司教でニカイア正統主義成立の最大の貢献者アタナシオスは、その主著『受肉論』において、キリストが「同質」神でなければ人間の救いは不可能とする救済論の観点から、また、アリウスの「類質」神では究極的に偶像礼拝に陥るとして反アリウス論を展開し、また、ニカイア会議(325)においてはアリウス主義を異端として退ける。「ニカイア信条」は両派の対立という紆余曲折を経て、コンスチタンチノポリス会議(381)においてニカイア正統主義として確立する。

 

彼は救済論からの出発点として論じている。我らが救われるために、御子はどういう方でなければならないのか。アリウスの救いであれば、我々の救いは完全なものとなれない。これは、単純な理由であるが、聖書的である。罪の絶大から、我らを救うためには、キリストは神でなければならない。

救済論から出発して、ロゴスはどのように人間となったのか、死と復活はどのような意味を持っているのか。これと取り組むのは三位一体論である。

「人間の罪は深いので、律法は誰も守ることができない。神が人間を救う意志がなければ、誰も救われない。それが、神のロゴスであるキリスト。救いの手段は完全なる神的な存在でなければ、救いに達成することができない」。この信条がHomo ousios。アリウスはHomoi ousios(類質であるが、同質ではない)。